名古屋発 お寺と神社のフリーペーパー グゥ〜とモーニング
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七面山 妙善寺外観 七面山 妙善寺

 当山のおこりは延宝八年(一六八〇年)五月、尾張藩第二代、徳川光友公の腫物平癒のため、尾張茶屋家二代目、茶屋長以が自ら七面女神像を刻し、妙行院日行上人(情妙寺第三世)がご祈祷を致しました。
平癒の後、光友公はこの話を聞いて長以の至誠を感じ、神像を城中に迎え拝しました。
長以はこの女神像を賜わり、これを末森山に奉祀しました。
その後元禄六年(一六九三年)に松原の控屋敷を挙げて寺地として七面宮を建立し、末森山から女神像を奉遷したい旨を発願して光友公に願い出たところ、公は榑木二百六十八挺、領分中の総奉加を許され、また、御正室霊仙院(三代将軍家光公息女)より白銀十枚を賜わりました。
元禄九年(一六九六年)十一月にお堂は落慶して女神像は遷宮されました。
  *松原の控屋敷とは、寛文四年(一六六四年)に光友公が橘町と命名された現在地のことです。

 尾張の国の安全第一を祈祷する一寺となり、愛知郡岩作村(現長久手町)の荒れた千手山妙禅寺をこの地におろし、七面山妙善寺と改名し、京都大本山妙顕寺第十八世中道院日春上人を迎えて開山としました。

 元禄十三年(一七〇〇年)九月一日に光友公自筆の「七面宮」の額を賜わりこれを神前に掲げました。以来一万巻の陀羅尼品を修して国の安全を祈祷。旧藩時代から名古屋の名刹でありました。明治以降も正月、五月及び九月の九日を大祭とし、国家の平和と参詣者の所願成就を祈祷しました。

 おしくも昭和二十年三月の空襲で、山門・摩利支天堂・水屋を残して、諸堂は悉く焼失。しかし、長以の刻した女神像は無事に、火中からお出しすることが出来ました。

 当山第二十一世慈法院日啓上人は昭和二十九年に先住職より御神像を受け継ぎ焼け残った摩利支天堂を旧七面堂の跡に移し、裏側に内陣一棟を増築して現在の七面堂とし、昭和三十六年十一月に大本山妙顕寺貫主、本覚院日眞上人が大導師となって落慶法要が行れ、現在に至ります。

  • 七面山 妙善寺

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